民具(有形民俗文化財)の収蔵問題が、全国各地の博物館・資料館や自治体の大きな課題となっています。背景には収蔵施設の老朽化やスペース不足、予算・人員の削減等がありますが、地域によっては、資料全体を把握(目録化)した上での検討や価値づけが不十分なままに、安易な一括廃棄が行われようとしています。このことに対し、日本民具学会として大きな懸念と危機感を表明します。
身近な暮らしの道具である民具は、文字記録に残されることの少ない民衆の生活史を雄弁に物語る、他に類を見ない貴重な資料群です。美術工芸品などその他の文化財が優品主義・厳選主義・一点主義を採るのに対し、民具の価値は一点のモノにあるのではなく、むしろ「群としての民具」を通して地域の社会・文化の在り方を明らかにできる点に大きな意義があります。
民具は、個人・社会・自然環境等の要請に応じて、地域ごと時代ごとに変容していくものであり、それ故に各地域・時代における社会や文化の多様性を映す鏡となります。一方で、民具によっては先史時代からほとんど変わらない形態を持つものがあるように、民具の様式には時代・地域を超越した一定の共通性も認められ、文化の連続性や伝播状況を知るためにも大変有用です。このために、考古学や歴史学など近接諸分野の研究成果を裏付ける重要な物証としても、大きな役割を果たしてきました。
このように民衆の暮らしの多様性と変遷を見ていくためには、地域・時代を超えて多数の民具を比較する研究手法が求められます。同種の民具であっても風土や時代による地域差が見られたり、その地域ではありふれたものでも全国的には類例のない資料であるケースが多々あるからです。こうした比較を通してはじめて、ムラごとのミクロな差異や、日本列島の中での、あるいは広くアジアの中における地域の特色が見えるのです。
すなわち、民具の価値を見極めるには、地域・時代を超越する広い視野が求められ、学芸員や研究者といった専門家の関与が必須となります。そして、現在明確な価値づけができていない民具であっても、次世代に継承していくことで、いずれ研究が進展した時に未来の地域住民がそこから新しい知見や情報を豊かに引き出すことができるのです。
このように民具は、先人たちがその土地や風土にどのように適応し、たくましく生き抜いてきたかを体現する、またとない物証です。民具を軽視することは、民具を寄贈いただいた個人のみならず、地域全体における先人たちの歩みや思い、過去から未来へと続く自らの歴史そのものをないがしろにすることと同義であります。
文化財としての指定・未指定を問わず、長い時間をかけて育まれ、多くの人の手によって引き継がれてきた文化を、その価値を理解しようとしないまま、短期的な収支にのみに注目して安易に捨て去ろうとすることは、民具だけの問題に留まらず、博物館や学問の理念そのものを脅かす行為です。
付け加えるならば、2019年に文化庁が決定した「文化財保護法に基づく文化財保存活用大綱・文化財保存活用地域計画・保存活用計画の策定等に関する指針」においては、地域における未指定の文化財についても掘り起こしと再評価を行い、地域振興等に活用することで、次の世代に確実に継承してくことができる体制が必要であると指摘されています。未指定の文化財なら廃棄しても良いという考えは、文化財保護法の趣旨にも反するものと言わざるを得ません。
このように、民具の存在意義は過去の解明だけにあるのではなく、適切に活用すれば、現在の、そして未来の地域住民にとっても大きな意義を持つものです。民具には何世代にも渡って洗練されてきたデザインや機能性が備わっており、地域に根差した自然素材が利用されています。SDGsや多様性の理念にも合致しており、現代社会にも十分生かしうる知恵や技が結晶化されているのです。急速にグローバル化し、平準化する現代社会において、地域アイデンティティやオリジナリティの核となりうる、ほとんど唯一の文化財ともいえます。
物言わぬ民衆の暮らしの代弁者たる民具が、これほどの規模で残されてきた国は世界的に見ても稀です。しかもそれは、「消滅可能性自治体」が大々的に報じられる昨今においては、二度と同規模で収集することは叶わないものです。民具は世界に誇るべき、日本の宝なのです。
とはいえ、現存する民具コレクションの多くは、暮らしが激変した高度経済成長期に緊急的に収集されたものであり、これらの中には基本情報が付随していないために価値づけが難しいものが多数含まれるのも事実です。また、博物館等の人員・予算の制約等によって、場合によっては整理・保管が適切に行われてこず、さらに近年では、博物館の職務がイベントや観光等へ偏重することにより、本来の使命である整理や調査研究による資料の価値づけ(文化財指定等を含む)が後回しにされる状況が顕著になっています。
今後は安易な廃棄ありきではなく、文化を総合的に把握し次世代に豊かな文化を伝えていくために、そしてよりよい収集と整理・保管・活用を図るために、コレクション・マネジメントの在り方も改めて議論しながら、山積している課題に取り組んでいく必要があります。様々な分野の専門家や市民とともに、社会全体で議論を成熟させていくことで、この貴重な文化遺産を後世に伝えていきたいと考えます。
2024年7月18日
日本民具学会
第19期会長 神野善治
第19期理事 一 同
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