日本民具学会(以下、当会)は、民俗資料・民俗文化財に携わる立場から、博物館法施行規則「博物館の設置及び運営上の望ましい基準の全部を改正する告示案」(2025年11月)に対する意見を表明する。以下に述べる懸念は、民俗資料・民俗文化財に限らず、地域博物館が扱うすべての資料領域(考古資料・歴史資料・古文書・美術工芸品・自然史等)に共通する根源的課題である。
今回の改正告示案は、大規模な美術館・博物館を想定して策定したものと考えられるが、民俗資料・民俗文化財をはじめとする地域資料を扱う全国の郷土資料館や歴史民俗博物館・資料館のような地方の地域博物館の実態についてはほとんど考慮されていない。それどころか、第6条2項および3項に示された方針は、資料管理に関して「交換・譲渡・廃棄」など過度に具体的な行為を国が例示するものであり、分野ごとの資料の特性や歴史的背景を十分に踏まえないまま一律に扱っている点に、強い危惧を抱く。
なかでも「廃棄」を含めた博物館資料の管理の在り方を検討するようにとの文言を新たに追加することは、最低限の組織・運営のなかで地域資料、地域文化財を後世に残すために日々苦慮してきた地方の小規模施設や専門職の長年の努力をすべて反故にするものである。
当会では2024年の奈良県における民具廃棄問題を受けて、博物館をはじめとする地方公共団体における民具の保存・管理の現状に大きな危機感をもち、とくに廃棄については明確に反対する声明を発表したところである。本声明については19団体の学協会から賛意が示されており、あらためて当会の趣意が深い理解と広い共感を得ていることを確信した次第である。にもかかわらず、今回の改正で「廃棄」の文言が盛り込まれたことは、きわめて遺憾である。
1.第6条2項「資料の再評価にもとづく交換・譲渡・廃棄等」についての重大な懸念
(1)研究が深化していない資料を廃棄することの危険性
在地性が極めて強い民俗資料等の地域資料は、現地でまとまって残されてこそ学術的価値を高めることができるため、「交換・譲渡・廃棄」にはきわめて慎重になるべきである。また、現在の研究水準で価値が判断できなくとも、将来再評価され、地域史・生活史・環境史等の研究にとって重要な資料となる可能性が十分にある。「一時点の再評価に基づいて廃棄などをしてもよい」という発想は、資料の将来的価値を貶めたり、過小評価することに他ならない。
文化財を守るべき文化庁が、博物館資料の「廃棄」を前提とした議論を促すことは、本来相対的な価値を持つ多種多様な地域資料・文化財を、限られた価値基準によって序列化することを是とするものである。ひいては廃棄を正当化する免罪符として利用される危険性が非常に高く、強い危機感を覚えるものである。
(2)寄贈・寄託という「地域社会との信頼関係」を根本から損なう
博物館における地域資料の多くは、地域の人々の善意と信頼による寄贈・寄託によって収集されてきた。地域の人々が博物館へ資料を寄贈するのは、その資料が半永久的に保存されるという認識が共有されているからこそである。博物館は「預かった資料を未来に伝える」ことを市民、国民から期待されており、廃棄を容認すれば、その信頼関係は決定的に損なわれる。今後の資料収集が困難になるだけでなく、地域の文化継承機能そのものが衰退するという深刻な影響が生じる。資料廃棄は、地域の人々の寄贈・寄託によって成立してきた資料体系を根底から揺るがすものであり、民俗資料だけでなく、歴史資料・古文書・美術工芸品など、寄贈・寄託を前提とするすべての資料に波及する問題である。(なお、埋蔵文化財の大部分は元の所有者が原則的に存在せず、文化財「認定」制度によって廃棄を免れている)
(3)国際博物館会議(ICOM)の国際倫理基準にも抵触する
博物館の国際組織である国際博物館会議(ICOM)のイコム職業倫理規程(2004年)は、博物館の運営や資料管理、専門家の役割に関する国際的な最低基準を示すものであり、「2.コレクションを信託を受けて保有する博物館は社会の利益と発展のためにそれらを保管するものである。」と定義した上で、収蔵品の「除去」には極めて慎重な手続きが必要であること、収蔵品の「永続性」を保証する責務があることを明確に定めている。(以下、「イコム職業倫理規程 2004 年10月改訂」より引用)
2.13 博物館の収蔵品からの除去
博物館の収蔵品から資料もしくは標本を除去することは、その資料の意義、性格(更新できる場合もできない場合も)、法的な位置、およびそのような行為から生じ得る公衆の信頼の損失を十分理解した上でのみ行われるべきである。
(中略)
2.18 収蔵品の永続性
博物館は、その収蔵品(永久的なものも一時的なものも)および適切に記録された関連の情報が、現在において使用でき、また現在の知識および資源に配慮しながら、できる限り良好かつ安全な状態で将来の世代に伝えることを保証する方針を決め、適用しなくてはならない。
この国際的な博物館の基準に照らすと今回の「望ましい基準」案は、国民の博物館への信頼の損失、公的遺産である収蔵品の保存・向上を図る博物館の義務の放棄、博物館の将来世代に対する責任の放棄と捉えられても仕方がない内容のものである。
イコム職業倫理規程は2026年には新たな改訂が予定されており、国際的な議論も未成熟な現段階で、日本の文化庁が廃棄を含む管理方針を積極的に明記することは、世界人類を対象とする国際基準から逸脱している。
2.第6条3項「複製・模造による代替収集」の危険性
案文では、保管が困難な場合には複製資料を活用する旨が記されているが、これは2024年に奈良県が発表した「奈良モデル」(3D「複製」後に民俗資料を「廃棄」する方針)と酷似している。当該方針を巡っては、学術界・文化財関係者から強い批判を受けているだけでなく、現場における知識の継承、組織のガバナンス、情報の透明性、学問的専門性の尊重についても重大な問題を孕んでいることもすでに指摘されている。「奈良モデル」は資料自体のもつ価値を軽視するものであり、文化財保護行政を指導する立場にある文化庁がこれを追認するかのような基準を示すこと自体が、倫理的にも、学術的にも、政策的にも不適切である。
さらに民俗資料は「もの」そのものがもつ情報量(素材・構造・質感・重量・製作方法・使用痕など)が極めて大きい。複製品で代替できる性質の資料ではなく、複製化を理由とする廃棄は学術的・文化財的価値を決定的に失わせる。
3.今回の「基準」自体が過度に具体的で、一律規定として機能しない
博物館が扱う民俗資料・歴史資料・古文書・考古資料・美術工芸品などの地域資料は、分野によって性質も価値の形成プロセスも大きく異なる。ところが案文では、「再評価に基づく交換・譲渡・貸与・返却・廃棄等」を検討するという手続きを、すべての資料分野に共通で適用できる前提で構成されている。
文化庁案は、博物館の多様性(設置主体・規模・専門分野・地域特性等)を踏まえず、国が上位規範の中で具体的な手続きを一律に例示する構造になっている。
しかし博物館の多様化が進む現状に鑑みると、地域博物館、美術館、動物園・水族館、大学博物館、専門系博物館(考古・産業・自然史他)等すべての博物館に共通する「望ましい基準」を定めようとすることには無理がある。例えば、動物園や水族館に「廃棄」が馴染まないように、「基準」は博物館法が対象とするすべての施設に適用可能な最低限のものに限定し、それ以外は別途定めるべきである。
4.基準に盛り込むべきは「廃棄」ではなく「資料継承の仕組み」である
今回の基準案に欠落しているのは、次の視点である。
(1)各分野の適切な人員配置・人材育成
そもそも資料を整理し、その価値を判断できる学芸員が圧倒的に不足している環境で、「再評価」「廃棄」を制度化するのは本末転倒である。埋蔵文化財の専門職員を擁する考古学の分野に比較して、民俗学・民俗資料の専門家をはじめ他分野の学芸員、文化財専門職員は圧倒的に少ない。各分野の適切な人員配置と人材育成の必要性について明記すべきである。
(2)組織の持続可能性
資料の成立背景や収集経緯に関する情報は、組織内で継承されなければ消失してしまう。廃棄よりもまず、長期にわたる情報継承を可能にする組織づくりの必要性こそ、基準に明記すべきである。
5.まとめ(要望)
(1)第6条2項・3項を削除すること。もしくは「廃棄」「交換」「譲渡」「複製による代替」等の記載を削除すること。博物館および資料の多様性や地域性を踏まえて、基準は必要最低限の文言に留めるべきである。少なくとも、現段階での「廃棄」の明記は時期尚早であり、設置・管理者である地方公共団体等に利用、濫用される危険性が非常に大きい。
(2)ICOM倫理規程(ICOM Code of Ethics)との整合性を確保する観点から、廃棄を含む管理方針を先行的に明記するのではなく、公的遺産の永続的保存を原則とする管理の枠組みを明確に位置づけるべきである。
(3)人材育成・情報継承・組織基盤整備といった、真に必要な「持続可能な文化継承の仕組み」を基準に盛り込むこと。
(4)民俗資料・民俗文化財に限らず、すべての地域資料の将来的価値を尊重し、博物館は「保存を第一義とする」という原点に沿った文言を盛り込むこと。
2025年12月26日
日本民具学会
|